阪急文化財団理事に伺う、
阪急創業者・小林一三氏と池田
SPECIAL
SPECIALIST INTERVIEW
仙海義之
阪急文化財団理事
逸翁美術館 小林一三記念館 池田文庫 館長
始まりは池田から。
阪急文化財団理事インタビュー動画で辿る、
小林一三氏と池田
阪急阪神東宝グループ創業者・小林一三氏が
こよなく愛した街「池田」
創業者・小林一三氏は、阪急電車の開業とともに沿線住宅開発の先駆けとして
建売住宅の住宅街「池田室町住宅」を開発しました。
小林一三氏がなぜ池田を選び、また事業を通して人々に何を提供したかったのか。
その想いについて、小林一三氏の事績を保存し紹介する
阪急文化財団の理事 仙海義之氏にインタビューしました。
阪急電鉄の事業は、池田と梅田を繋ぐ「宝塚線」が原点。
その起点となるのが池田
阪急東宝グループ(現阪急阪神東宝グループ)創業者
小林一三(雅号:逸翁/いつおう)
1873~1957
阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現阪急阪神東宝グループ)創業者。 鉄道事業と共に沿線の宅地開発を行い、住宅ローンで販売するという独創的なアイデアを創出したほか、 宝塚歌劇、東宝、阪急百貨店等、人々に新たな生活と楽しみを提案する様々な事業を生涯を通じ展開した。
阪急にとっての「池田」とは?
阪急電鉄の路線は、宝塚と梅田を繋ぐ宝塚線が最初で、開業の式典が行われたのが、今の池田駅のところです。それで実は今も、阪急電鉄の登記簿上の本店は池田駅のところにあります。ですから阪急電鉄にとって、池田は始まりの地であると言っていいと思います。
住宅地開発も池田が始まりです。その理由は?
池田は宝塚線開業の地というだけでなく、各駅停車で梅田へ30分で行け、通勤に便利でした。 また自然環境が残っていることから、住むには大変よろしいんじゃないかと小林一三が見込んだわけです。それで第一号の住宅開発地となりました。
当時の「池田室町住宅地」はどのような街づくりが行われていたのでしょうか
郊外住宅として計画的に作られた街の先駆けだと思っています。単なる技術的な街づくりだけではなく、《現代的なライフスタイル》を生み出そうとしました。
電気、水道、ガスなどのライフラインやインフラを築き、現代的な生活を手に入れられる場所にしたかったのです。
さらに街を作るだけじゃなく、そこに住まわれる方の《コミュニティづくり》をしようと考えたんですね。
今も『室町会館』(※1)が残っていますが、そこをスポットにして住民同士が繋がりを持てるよう、最初から願っていたようです。先進的な考えをもって拓かれた街だということがうかがえます。
街に溶け込む小林一三氏ゆかりの文化施設。
市民に愛され、文化芸術の振興に寄与
多方面で活躍した小林一三氏の
華麗なる事績を紹介する「小林一三記念館/雅俗山荘」
池田において、小林一三記念館、逸翁美術館、池田文庫の各施設を運営される
公益財団法人 阪急文化財団について伺いました。
財団の使命と感じておられることについてお聞かせください。
小林一三が遺した文化遺産、それは登録有形文化財である雅俗山荘などの建築物であり、美術館に収蔵する絵画や工芸品、
そして宝塚歌劇や映画などの音楽・演劇。あるいは一三自身が書いた文学。
これを後世に遺し、未来に活かしていく。そのような施設の運営を目差しています。
これらの施設が池田の地に残されている理由、またその特徴は?
もちろん、小林一三がここに住んだから、この旧邸の周囲に逸翁美術館や池田文庫が揃っているのですが、文化施設は都心部にあるのと、地方都市にあるのとでは性格が異なってきます。
都心部にあると大勢の方が来館され、多様な求めに合わせた活動をしなくてはいけない。都会から離れた池田という場所にあることによって、
独自性やそれぞれの個性を守りながら、各施設を運営することができると思っています。
お客様にも、これらの施設の落ち着いた雰囲気を喜んでいただけているのではないでしょうか。
また池田には当美術館だけではなく、他にも多彩な文化施設があるので、その在り方を活かした多様な活動をしていきたいと思っています。
国の登録有形文化財「雅俗山荘」
旧邸である雅俗山荘には、小林一三氏が過ごした空間を共有しながら、
美味しいフランス料理を味わえるレストランも併設されています。
雅俗山荘を通じてお客様に感じてほしい事は
小林一三はここに住まうだけではなく、大勢のお客様を招き、文化・芸術を一緒に楽しみたいという想いがあったようです。 池田や雅俗山荘に来られたお客様に『一緒になって文化・芸術を楽しめてよかった』と感じていただけたら嬉しいです。
小林一三氏が池田で叶えたライフスタイル、
人々への提案
あらゆる人に楽しんでほしいとの
願いが込められた茶室
小林一三氏が「即庵」を作った意図は?
即庵は椅子席でお茶会に参加していただけるのが特徴です。
いわゆる茶の湯の心得が無い方も、あるいは日本にいらした外国人の方も一緒になって茶の湯を楽しんでいただけるような造りになっています。
小林一三が何を望んでいたのかというと、せっかくみなさんで集まってくださるわけですから、茶の湯を通じて楽しみを一緒にしたいと。 それで分け隔てなくお客様に来ていただけるような茶室を作ったのではないかと思います。
その想いは宝塚歌劇や阪急百貨店の創設にも通じていますね
皆で楽しみを共にしたいという想いは、小林一三のビジネスである阪急電車、阪急百貨店、宝塚歌劇、東宝等のすべてに、方針として現れています。
そして例えば池田に住む方が、平日は大阪市内に通勤し、子どもは沿線の学校に通う。週末は宝塚で遊んだり梅田でお買物をしたり。
そういった現代に繋がるライフスタイルが、沿線で実現できるようになると考えていたと思います。
池田をこよなく愛した小林一三氏
12池田城跡公園/徒歩10分(約750m)3春の五月山
小林一三氏は池田を「第二の故郷」とされていたそうですね
小林一三は山梨県韮崎市で生まれました。アルプスの山と甲府盆地が出会い、二つの大きな川が流れる街です。
そして池田には、五月山と大阪平野があり、猪名川が流れている。小林一三にとってまるで故郷のような、懐かしさを覚えたのではないでしょうか。
晩年は、自身の書いた著作に『雅俗山荘の裏門から爪坂のぼり(中略)、池田城跡の内堀に出る。渓を下って、竹林の細道を横切り、大廣寺前から穴織神社に詣でて、
一巡して帰る』のが、夕飯前の散歩道であると記されています(※2)。
五月山の四季など、池田の自然環境をとても愛していたことがうかがえます。
協力:(公益財団法人)阪急文化財団
※1 池田市立姫室・室町会館(徒歩6分)
※2 小林一三全集 第五巻 「藪の細径」より