華やかな舞台、宝塚歌劇で世界を魅了
阪急阪神不動産が属する阪急阪神グループでは、お客さまに「夢・感動」をお届けすることを経営理念に掲げ、エンタテインメント事業にも力を入れています。その代表ともいえるのが、国内外の多くのファンから愛されている宝塚歌劇です。誕生は大正時代の1914年。小林一三が鉄道の利用者増を目的とし、宝塚に「宝塚新温泉」というレジャー施設を開設したのがきっかけでした。ところが施設の目玉として設けた室内プールは温水設備がなく、当時は男女共泳が禁止されていたため、すぐに閉鎖に。そこで一三はこの場所を劇場として再利用しようと知恵をしぼり、少女歌劇団を結成したことで宝塚歌劇が始まったのです。ちなみに、多くの大ヒット映画で知られる東宝も一三が設立した東京宝塚劇場が出発点であり、その名前は「東京宝塚」に由来しています。
名古屋は日本舞踊やバレエなどを習う人も多く、「芸どころ名古屋」と呼ばれるほど、古くから文化活動が盛んな土地。阪急阪神グループの芸術文化への想いは、名古屋の皆さまにも共感いただけ、日常に美しいハーモニーを奏でるものと確信しています。
- プールを改造した劇場
- 宝塚大劇場
- 東京宝塚劇場
高校野球の聖地、阪神甲子園球場
阪急阪神グループのエンタテインメント事業のもう一つの柱が、スポーツ事業です。1915年の夏、今日の全国高等学校野球選手権大会「夏の甲子園」の前身となる「全国中等学校優勝野球大会」の第1回大会が開催されました。その開催を大阪朝日新聞社に提案したのは野球が好きだった一三で、第1回大会は一三が建てた大阪府豊中市の「豊中運動場」で行われました。その後、大会は人気を博して増え続ける観客を収容できなくなったために球場を移し、1924年の第10回大会からは現在の阪神甲子園球場で行われるようになりました。阪神甲子園球場は大会出場を目指す高校球児にとって、野球の聖地。毎年、美しいグラウンドを舞台に日本中の人々を魅了する、まさに「夢・感動」のドラマが紡がれています。
- 阪神電鉄の甲子園開発
- 大阪野球倶楽部(通称︰大阪タイガース)
- 球場外野席側にある「甲子園歴史館」
- 豊中球場の記念碑